距離感による安定性と退屈さ

二人でくっついていれば、片方が揺れればもう片方も揺れる。二人の間に距離があれば、片方が揺れてもその影響は少ない。どちらかが震源地だとすると、そこからの距離があればあるほど、震度が低くなっていくのだと思う。っていうのはまあ僕の恋愛スタイルについての話だ。僕はいつでも一緒にいたいと思うのだけど、そしたら小さな揺れが大地震を齎してしまうこともあり、まるで次から次に大きな波がやってくる。上手なサーファーになれればいいのだけど、僕はよく海に投げ出されてしまう。上手に波に乗れるようになるのが一番よいのだけど、とても難しいので結局少し(こころの)距離を取ることにした。年齢に差があって、経済力に差があって、今まで生まれ育った環境に差があると、やはり完全に一致するということは有り得ず、苦しくなることがあったからだ。だから、今までのようにすべてに対して僕の全部をぶつけるのではなく、たとえば10%は「僕」を残存させて彼と付き合う、という方法をとることにした。いざとなったときのため、あるいはちょっと余裕を持つためにつくった「へそくり」みたいな風に。すると、驚くほど安定した。穏やかになった。同時に退屈になった。安定性と退屈の度合いは僕の中で比例するのかもしれない。それでも今暫く、僕はこのままでいようかと思う。正直に言うと、僕のすべてをぶつけることができないという事実はとても寂しいことのように感じている。けれど、たいせつなものを失わないためには仕方の無いことなのかもしれない。