歳月

十二歳という年齢差を埋めようと、僕は不安になったり、必死になったり、対等であることを求めたりするのだろうか。だとしたらそれは不可能であるように思う。年齢差というものは絶対的なものであって、決してそれを無くすことは出来ないからだ。ただ、僕はその年齢差に絶望することもあれば、ひどく愛おしく思うこともある。僕が埋めようとしているのは、十二歳という年齢差ではなくて、十二年という歳月から生まれる経験の量なのだと思う。好奇心という言葉で正当化して突飛な行動に出てみたりするのは、様々な体験をすることによって「量」を補おうとしているのだろう。けど、表面的な体験では精神的な成熟は得られないらしくて、僕は「量」だけでは足りてないことを感じる。それでも、少しでも彼のいるところに行こうとして、砂をまいて山を必死で高くする。(それは雨が降ったら固まるけど、ちょっと崩れる。)或いは彼は滑り台のてっぺんにいるかのようだ。僕は階段を一段一段踏みしめて上って行くべきなのだと思うけど、つるつると滑る「滑り台」を一気に駆け上ろうとして、途中で滑って下まで落ちる。何度もチャレンジしてみて、すぐに滑ってしまうときもあれば彼のすぐ側まで駆け上れるときもある。別に駆け上る必要性を感じたりしないで、一番下から楽しく彼に語りかけることもある。そんなことの繰り返しのようなものかもしれない。