田舎者の主張

昔話。少し前、彼は「ゲイって意外に多いよね」と口にしたとき、僕は違和感を感じ異論を口にした。それは彼が大阪市内で生まれ大阪市内で育ち、堂山に飲みに出ているからに過ぎない、と。「人間の○%は同性愛者だって言うじゃん」なんて言われると、そんなもん僕が知るわけないやんかと思う。(単なる逆ギレぽいけど。)何故ならば僕は目に見える同性愛者というものに、高校二年の秋まで一度たりとも接したことが無かったからだ。そして具体的な例が必要ならば幾つかの出会い系サイトを覗けばすぐに見て取れる。

どちらにしても「鹿児島」の「鹿」の文字が出てくることはまず滅多に無い。ゲイは大都市に集まるのか、それとも息を潜めているだけなのかは分からない。ただ、現実問題として「ゲイの総人口」自体がそれ程多くは無いんじゃないのかなあと僕は勝手に思い込み始めている。行ったこと無いから言うのもアレだけど、噂によると鹿児島のゲイバーは出張でくるひと頼みな感が否めないらしい。勿論現地のひとも常連として飲みに来はするけど、絶対にその数は多くないだろうと自信を持って言える。そもそもゲイバーの軒数の少なさからその需要の少なさが判明するように思われるからだ。日本で二番目に多い大阪でもせいぜい百軒を越える程度であるし、平日は閑古鳥が鳴いていたりする。(そこにはITの発達も原因にあるのだけれど。)堂山へ行けばゲイに会える。それは当たり前のような当たり前でないような。大阪で生まれ育った彼にとっては当たり前で、鹿児島で育った僕にとっては当たり前ではなかった。今はそれが当たり前になってしまったのだけれど、鹿児島との比較をすることによってつい大阪はゲイだらけだという錯覚を抱きそうになることも否めない。それにしても大阪という土地は人が群れやすいところなのだろう。選挙では創価学会に80万票も入るし(正しくは公明党に、だけど。)アジア系労働者達は固まってそこは○○人街と呼ばれるようになる。PLの花火大会だって信者からのお布施じゃないか。ゲイも同じだろう。何故ならば僕もそのひとりだったりするからだ。地元にひと(ゲイ)がいないから、都会に憧れて出てきた。それだけの話なのだけど、だから大阪のひとに言いたいのは、ゲイが多いんじゃなくて、交流するために大阪にやって来たんだよーってことだ。
あまり関係無いかもしれないけれど、新宿二丁目の規模の大きさがゲイの勢力の大きさ、経済的勢力の大きさと考えていいのかもしれないと思う。週末のゲイバーは東京から出張のお客さんの恩恵を大きく賜っている次第だ。
それにしても、僕が書く文章って本当に田舎出身かつゲイバーで働いているものとしての経験論であるに過ぎず何の論証もしてないので恥ずかしい。経験だけでモノを言うのはよくないと思うのでちょっと読書でもしようかなあ。というわけで、上の方の引っ越しに際して餞別代わりに安価で譲り受けた

あたりを読破してしまおう。