モノクローム

「思いやりを持て」
それが母親の、唯一の、僕に対する望みだった。勉強なんかできなくていいから、と言う台詞を何十回何百回聞いただろうか。「勉強なんかできてもなんも偉くないのよ。ひとの気持ちを考えて、思いやりをもちなさい。」
まるで呪文のように聞こえた。
自分がされたら嫌なことをひとにするな。されたひとの気持ちになってみろ。
なってみた。確かに嫌だった。なるほど、と思った。されたら嫌なことを自分もしたらいけないのだと、単純に思った。しかし、たとえ僕が変わっても世の中はそう変わらない。ある日突然自分が我慢しても、僕に対する“されたら嫌なこと”は一向に減る様子が無い。掃除の時間の後だったか、「誰も見ているひとがいなくても先生には誰が真面目にやってるか分かる。」と口にした。ほんまかいなと思いつつも、どこかで信じていた。こいつが分からなくても、分かってくれるひとはどこかにいるかもしれない。
母の教えのせいか、僕は小さい頃から日々友人を観察し、選別するようになった。このひとは思いやりのあるひと、こいつは思いやりの無いやつ。前者は“偉い人”、後者は“いやな奴”だと認識した。思いやりというのは奥が深く、そう簡単に持つことはできないものだということが分かった。一度の自己主張は思いやりを縮小させ、一度の自己犠牲は思いやりを増幅させた。集団と関わる際には誰もが納得する案を考えるのはとても難しく、誰かに恨まれる結果になる。その人は案を提言した自分を思いやりのない奴だと考える。たとえ自分が誠意を持って接しているつもりであっても、相手はそう感じていないかもしれない。僕の「思いやり研究」は夏休みの宿題に課された自由研究なんかよりも遥かに真面目に為されていた。うまく言葉にすることができなくとも、毎日五感で感じ取っていた。常に自己を犠牲にしても、「思いやりのない奴」に利用されるだけであるのだということも次第に理解した。利用されることをも許容しなければいけなかったのだろうか。“いやな奴”のために何もかもを捧げなければいけなければいけないのだろうか。自分の人生の何十分の一かを彼らのために費やさなければならないのだろうか。
吐き気がした。“思いやり”を遵守しようとしていた自分に腹が立ち、虚しくなった。
思いやりをもつというのはなんて難しいことなのだろうか。勉強の方が遥かに容易だった。しかし「勉強なんかできてもなんも偉くないのよ。」と家では言われ続けるのだった。
歳を重ねるに従ってモラルもある程度は身に付いて行くのだろう、「遠慮」することが大人であるかのような風潮が出始める。「妥協」は本来良い意味の言葉なのだと知る。日本もずいぶん生活しやすくなったものだ、と胸中にて唱える。利用できるものは利用する輩は更に少数派となり、「わがままだよね」と陰口を叩かれていた人間は遂に「社会性」を批判されるようになる。ざまあ見ろ、とこころの中で思う自分にはやはり思いやりがないのだ、と思う。おそらく、それは僕の人生の課題となり続けるだろう。

                                                                                    • -

家の中のガランとした空間。彼が荷物を置くのだと宣言した空間。一ヵ月半が経った今も尚空洞であり続けている。忙しくて荷物を持ってくる暇がないと言う。いつまで待ち続ければ良いのだろうか。昼間、突然疑念が沸いた。たとえ彼がここに荷物を持ってきたとして、そして何か変わることがあるのだろうか、と。彼は確かに言った。「荷物もってくるから、そしたら二人で過ごす時間ももっと増えるから」と。しかし現実的に考えてみてどうだろう。消去法で×印をつけてみると、僕の部屋に荷物があってもなくても、何も変わらなかった。ウソだよなあ?○が増えるんだよなあ?聞いてみたい衝動に駆られた。
夕方から夜にかけて資格学校にて授業を受け、帰宅する頃には本格的な夜が始まる。彼から電話が入る。僕が口を開くより先に、職場での可愛い愚痴をはく。うん、うん、と聞いていたら、異動を申し出るかもしれない、と言う話を聞き耳を疑う。二転三転している。最初は異動しなければいけないと言っていた。そして残留できるかもしれない、しかも昇進付きだという話になった。それからまた、異動を申し出ると言う。どうやら「同僚との価値観の相違」が原因らしい。結局どうなるかはもう僕には皆目見当が付かない。
口にしてしまった。懐疑を晴らして欲しかった。気にする必要なんてないのだと思わせて欲しかった。しかし返事は予想通りであった。「僕は精一杯やってる、それで満足できないのなら君は考えを変えるか、君の望みを全て叶えてくれるひとを探すしかないと思う。」「じゃあ、約束はただの空約束だったのか」と問えば、「そうなればいいと思った」と答えた。「そうするために、日々頑張ってる」と。しかし、現実は遥かに遠いだろう。「どんな気持ちでその約束を受け止め、どんな気持ちで実現を心待ちにしていたか知ってるのか」と必死に訴える。しかし「僕は精一杯やってるのだから、それで満足できないのなら」と回帰するのだった。
何に関しても白か黒かどちらか結論を出したがるのが自分の性格なのだろう。だからきっと恋愛が長続きしないんだろうな、と我ながら思う。「子供」なのだろう。「遠慮」や「妥協」を知らないのだろう。こんなことならいつまでも子供でいたいと願ってしまう。遠慮も妥協もいらない誰かがいないだろうか、と。いるはずない。そんなの分かっている。だからみんな大人になるのだ。ならざるを得ない。
グレーか黒かを選べと言う。「僕は今のまま付き合って行きたいと思ってるし、今でも精一杯やってるからこれ以上を望まれてもどうしようもない」
わかってる。
「もし満足できないなら、付き合っていくことはできないと思う。」
白にはなり得ない。白なんて無い。分かってる。いや、分からない。いや、分かってる。
「やさしさが足りないと思う」
言われたら一番痛い言葉を、言われた。

                                                                                    • -

両者の意向で彼とは暫く連絡を取らないことになった。自分の中で答えはもう決まりかけているけれど、はっきりと記しはしないでおく。もっと熟慮して決断は下されるべきだ。
彼はいつも選択権を僕に押しやる。今回の選択は「グレー」か「黒」かだ。僕が望む色はそこには無い。しかし、「二択」なのだ。
僕にもっと思いやりがあれば、どんな色の中でも生きていけるのだろうか。