OMOIDE IN MY HEADに縋る

 最近思い出すのは彼とうまく行っていたときのことだ。お互いがお互いのことを好ましく思っており、他には何も見えなかった。彼と一緒にいるだけで心が弾み、安心した。彼となら一生一緒にいられると思っていた。ただ、現実はそんなにうまく行くはずが無い。何が悪かったのだろう。それを考える時、真っ先に思い浮かぶのはいつも僕が北海道にいる間の出来事だった。
 去年の七月後半だ。僕は部活の交流試合で北海道へ行っていた。後に、彼が「彼のことが好きな男のひと」の家に泊まりに行っていたことを知る。ゲイの世界は驚く程狭い。ゲイバーで働いていると多種多様な噂話が耳に入る。彼もゲイバーへ飲みに出て十年、顔もいくらか割れていたのかもしれない。問いただしてみれば「何も無かった」と言う。「泊まりに行ったのは悪かったけど、何も無かったよ。すぐ寝たし。謝るしか自分には出来ない」と言う。(ちなみに「泊まらせて」と言ったのは彼からである。相手のひとには「えっちをしようよ」と言われたけど断ったとのことだ。)僕が文句を言えば「どうしろって言うんだよ」と逆ギレを喰らう。しかし起こってしまった出来事はどうしようもなかった。僕はひたすら彼のことが好きだったし、「もうこんなことしないでね」と言ったのだった。この頃から僕は神経質になっていたのかもしれない。性交渉がそこにあったのか無かったのかが重要だったわけでは無いのだ、ということを明記しておく。
 次は八月頭の出来事、僕の日記が彼にバレたことだ。彼は盛大に僕への怒りをぶつけ、泣いた。僕は日記を過去の削除したが、「もう付き合っていくことは出来ない」と宣告されたものの何とか繋ぎ止めた。
 それから十一月の東京での出来事だ。彼は出張で東京へ赴いた。僕はバイトがあったため一日遅れで追いかけた。(もともとそのような予定であった。)東京自体はこの上無く素晴らしかった。鹿児島とは比べるまでもなく、大阪とも大きく異なっていた。東京への憧れが膨らむのを感じた。ただ、彼が前日に(ゲイバーへ)飲みに出ていたことを頑なに隠していたことと、更に後になって「朝飯を一緒に食べた」と白状したことには嘆いた。夜飲みに行って朝飯を一緒に、ってどういうことやねんと思ったが「一緒に寝てはいない」と頑なに否定する。呆れてものも言えなかったけれど、盛大にキレた。しかし彼は「僕としてはそんなに酷いことをしたとは思って無い」とのんきに言う。僕がうるさすぎるのだろうか、考えすぎなのだろうかと悩む。
 つい最近の二月、日記を読んで貰えば分かると思う。彼に「このままでは付き合っていくことは無理だ」と言われ全面降伏する。関係を維持できる。
 ここまで書いて僕が主張したいことを述べることにする。全面降伏と上に記したけれど、これは非常にその通りであるように思われた。こんなに書いておいてなんだけど、今は別に全く気にしていない。(ただ、何故こんな風になってしまったのかという原因を求め過去を振り返っている。)僕が求めていたのは「相互補完性」であったのだと強く思う。それが自分の理想であったのだと思う。文字通り他に何もいらなかったのだ。しかし現実にそんなことはありえない。北海道の件において「性交渉があったのか無かったのかは重要ではない」と書いた。僕にとって重要であったのは、その「相互補完性が崩れてしまった」ということだったのだと思う。彼は家族に対する責任も負っており、また東京での出来事もあり、すれ違いは大きくなった。僕の求めている理想をきっと彼は理解していた。だからこそ「このままでは付き合っていくことはできない」と僕へ警告したのだろう。僕もその通りであると思った。しかし、僕にとって付き合うの反対はすなわち別れなんかじゃ無かったのだ。僕は往生際が悪いのだろうか?けれども、別れた瞬間、全てが終わってしまうような気がしたのだった。(おそらく気のせいだ。)
 最近、自分はなんのために生きているのだろうかと思うことがある。何をしたいのだろうかと疑問に思うことがある。公認会計士になるために勉強をしている。今の勉強はいつか結果に結びつくのかもしれない。それはこれから先生きて行くうえでとても重要なことなのかもしれない。けれども釈然としない。勉学に身が入らない。現実味が湧かない。いや、公認会計士という職業には非常に興味を持っているし、僕の性格的にもこれ以上の適職はとりあえず今のところは思い浮かばない。しかし、将来のために頑張る、というスタンスに時折苦しくなることがある。未来のためを思って行動する、それはおそらく大きな原動力になるのだろう。ただ、僕はもっと「現在」を大切にしたいのだ。それは贅沢なのだろうか。
 疑問に対する答えを出そうと思えば簡単なのだ。きっと、好きなひとと一緒に過ごして行くということ。それこそが僕にとって最も意義を見出せるものであるからなのだろう。その見通しが不透明な現在、僕はなんのために生きているのかを見出せないのであろう。
 広島で頭を冷やしてきます。