記憶

 人は、一度巡り合った人と二度と別れることはできない。なぜなら人間には記憶という能力
があり、そして否が応にも記憶とともに現在を生きているからである。
 人間の体のどこかに、ありとあらゆる記憶を沈めておく巨大な湖のような場所があって、そ
の底には失われたはずの無数の過去が沈殿している。何かを思い立ち何かを始めようとすると
き、目が覚めてまだ何も考えられないでいる朝、とうの昔に忘れ去っていたはずの記憶が、湖
底から不意にゆらゆらと浮かび上がってくることがある。

 けれど僕はその過去を「完全に」思い出すことはできない。時には己の都合の良い用に脚色し、時にはより悪い記憶を無意識のうちに捏造する。そんな朧気な過去を僕は一生懸命に思い出す。無理矢理に巨大な湖のような場所をかき混ぜ沈殿物を掬おうとする。断片を掴む。
 僕は彼のどこが好きだったのか。顔がタイプだった。性格がタイプだった。けど僕が好きな彼の性格は同時に僕の片想いが成功しないことを意味していた。僕はそれを知りつつ一縷の望みに賭けてみて、そして玉砕した。理論無き行動は無だ。理論を経ての行動も無であることを知りつつも僕は行動した。行動無き理論は死だ。だから行動して死んだ。それで良かったと思う。
 僕は過去の朧気な記憶と共に現在を生きている。巨大な湖のような場所へ、まるでゴミのように記憶を投げ捨てる。捨てたくないものがあっても、手に収めきらなくなったものは無念にも湖へ捨てられる。燃えるゴミと燃えないゴミを分別するように、残したい記憶と捨ててしまいたい記憶を分別する。けれど結局は全て捨てられる。ただ、記憶はある日不意に(恣意的に、或いは偶発的に)甦ることがあって、僕はそんな記憶と共に未来を過ごそうとしている。