心がくじけそうだけど。

刹那的な怒り、深い悲しみ、喪失感、虚無感。何が本当で何が嘘なのか分からなくなってきた。懸命に嘘に見えるものを追い払う。真実に見えるものにすがる。信じたいのに何故疑ってしまうのだろう。どうして信じることができないのだろう。僕は知りすぎたのかもしれない。知りすぎた気になっているだけのような気もする。
こころがくじけそうだ。
しかしその行為が遂行されてしまわれればそれは「おわり」を意味する。こころがくじけて導かれるおわりはバッドエンドだけ。僕にはそんなおわりに向かって役を演じることなんてできるはずがない。だからすがりつく。どれだけみっともなくても、どれほどみじめなものであっても。「aaaaaa」。そんな無意味な小文字が頭の中を流動し続ける感覚。不注意から頭を強くぶつける。痛烈なはずの痛みも、どこか遠くで鈍く疼くのみ。
こころの底からしあわせだと感じられるときがある。こころの底から悲しくなることがある。どれもこれも好きでしかたないからだ。こんなにも辛いならば好きにならないようにすればいいのかと一瞬感じるも、そんな人間は僕ではない。恋愛感情というものはつくづく自分本位で自己満足的な感情だと痛切に感じる。本当にいたい。苦しい。それでも、どうしようもない。
僕は彼から離れることなんてできないし、彼もそんな積もりは毛頭ないと言ってくれる。では何故僕がこんなにも苦しむようなことを次々とやってのけてしまうのだろう。「そんなに悪いことだとは思ってなかった。」あと何回かそう言われれば僕は慣れてしまうのだろうか。僕が気付く前に麻酔を打ってやってくださいとねがう。痛みを感じないように麻痺させてほしいとおもう。直面するには辛すぎる。実際彼は僕がそんなにも傷つくとは思っていなかったのだろう。けど「すこしは」思っているから隠し、次々とばれてしまうのだろう。僕が知っているのはいかほどのものなのか。他にも何かあるのではないか。疑心暗鬼。人間不信。自己嫌悪。開き直れる根性が欲しい。それを「つよさ」と呼ぶのか「よわさ」と呼ぶのかはわからないけれど。
僕は僕自身のしあわせを願っているのだろうか。
かれのしあわせをねがっているのだろうか。
僕は後者を選ぶ人間だ。恋は盲目だと言うけれど、僕は彼だけ見えていればいいと思う。僕の見ている彼がしあわせであればいいと思う。
だから僕はつよくなりたい。