ありがたきおことば

文学部の先輩様に僕の文章のことを「上手いところと幼稚なところが混ざってて読みにくい時あるわ」と言われる。上手いところがあると言って貰えただけで嬉しくなった。いやはや幼稚なところがあるのは常日頃感じていることであったので何とも頭が下がる思い。はは。

熱さを嫌う若者たちは冷えきった場所へ逃げてゆく

眠りすぎてボーっとしているのか熱でボーっとしているのか分からない。何年かぶりに辻仁成の「海峡の光」を再読。直木賞らしさとか芥川賞らしさなどということをうまく言葉に表すことはできないのだけど、先日読んだ角田光代の「対岸の彼女」は直木賞を受賞するに相応しい小説であると思ったし、「海峡の光」は芥川賞を受賞するに相応しい作品であると思う。個人的には芥川賞は男流小説的であって直木賞は女流小説的であると思っている。「的」なんてことば使ってる時点で漠然としすぎてると思うし、偏見だと思われるかもしれないけど、僕は「良い意味」でそういう風に考えている。BGMは先日発売されたNUMBER GIRLの「OMOIDE IN MY HEAD 1 〜BEST & B-SIDES〜」。解散してから既に1年以上が経つのにまだCDが続々とリリースされていることに喜びを覚える。過去の音源を詰め合わせているに過ぎないけれど、「OMOIDE IN MY HEAD」も「4」まで発売されるというから驚きだ。朦朧とする意識と感覚的かつ暴力的な音楽は不思議な融合を経て昇華する。I don't knowを聞いていると映画「害虫」を思い出す。あの映画の世界はまさにナンバガ的だったなあと思う。冷凍都市、性的少女。自分の好きな曲は「透明少女」「タッチ」「SAMURAI」「裸足の季節」「OMOIDE IN MY HEAD」「ZEGEN VS UNDERCOVER」「TATTOOあり」「鉄風 鋭くなって」「I don't know」あたりだ。・・・こうして書いてみるとなかなか多い。やはり好きだったんだなあと思う。

弟に会う(昨日の出来事)

弟は虚弱体質である。三歳の頃からアトピー性皮膚炎を患い、それはだいぶ良くなったものの完全には治らず今に至っている。一時期は体中から汁のようなものが出ていた。布団は血まみれであった。痛々しかった。中学生の頃は十二指腸潰瘍を患った。原因はストレスとのことであった。僕と仲が悪かったことも一因なのかもしれないと焦ったこともある。「焦った」が一番当てはまる言葉だろうと思う。それ程僕と弟は仲が悪く、心身共に傷付けあっていた。
高校に入ってからも虚弱な体質には一層磨きがかかったらしく、高校も年に数十回休むようになり、受験生である今年は五十回以上欠席をしたとのことだ。体育は一年間見学し、休みがちであったためこれ以上休んだら審査にかけなければならないので出るようにとの勧告を受けたらしい。1km歩いただけでフラフラすると言うのだから重症だ。随分と痩せ細り、178センチの身長に対して体重は52キロ。僕も痩せている方であった(最近はそうでもない)が、弟は比べ物にならない。そんな弟が、奇しくも僕が在籍する大学を受験するという。そういう訳で、母親からひ弱な弟の荷物を持ってあげて欲しいとの直通電話があり受諾したため、弟と会うことになった。二十三日大阪着、二十四日下見、二十五日受験、二十六日帰鹿。僕の頃と全く同じ日程であった。
うちの高校はその大学を受ける生徒全員で集団行動をする。その中で弟は一人、体調の不良のせいで時折別行動を取るということであった。飛行機は同じであったのだろうか、弟は僕を友達の目に触れさすのが恥ずかしいようで、「何その前髪、中途半端じゃねえ?じゃあ荷物よろしく。あっち行ってて」と言い捨て友達の輪に入って行った。ムカついた。が、僕がここに居る経緯や弟の心境を考えると分からないでも無いのでさっさと出口へ向かい待っていた。
ホテルまで荷物を運び、昼飯を食い、別れた。弟と話していて感じたことは、悲しいまでの金銭感覚の違いであった。それは今の僕の目から見て滑稽なほどであった。大学へ通い、医者である彼と付き合い、僕の中でのお金の価値は、デフレが進む世の中と逆行して大きくインフレをきたしていた。彼の一万円が僕のなかで三万円にも四万円にも感じられるように、僕の一万円は弟には三万円にも四万円にも感じられるのであった。とにかく弟が不憫に思え、つい二年前は僕もこのようであったのだと色鮮やかに思い出し恥ずかしくなってしまった。同時に、彼は僕を見てそのように感じているのだろうかと思うと身の置き所がなくなった。金など所詮金でしかないのだと思いたいが、今の自分にはまだ難しそうだ。
そんなことを考えながら、弟に一万円を上げた。弟は「え、いいの?!」と驚きながらも大事そうに受け取った。戸惑いながらも純粋に嬉しいのだろう。僕も正直お金はほとんどなく最近つらい生活をしているのだが、僕が一万円使うよりも弟が使った方が遥かに価値が大きくなるだろうということは分かっていた。しかし、それでもほんの少しずつ大事に使ったり、下手に貯金したりするのだろうなあと弟の金の使い方を想像すると苦笑した。弟を見て、彼を見ると、環境の違いでこうも変わるのだと溜息が漏れた。勿論、彼が悪い訳では無い。しかし、彼の「そんなに贅沢していないよ」という言葉を聞くたびに感じた不協和音を思い出し溜息が漏れるのだった。
僕にはお金に対するコンプレックスがあると思う。早く仕事がしたいと昔から思ってやまなかった。こんなに不自由するならば、こんなにも周囲のひとの贅沢を指をくわえて見ていなければいけないならば、早く就職したい、そうして周りのやつよりも稼いでやるのだ、と小さい頃からずっと考えていた。あと一歩でそこまで手が届く。あと少しの我慢なのだと、自分に思い聞かせる。

彼と住めないのであれば東京に住みたかった

彼が僕の家に来ると、夕飯の食卓は一気に華やかになる。というのは僕が一生懸命料理をするわけでもなく、僕の食生活を見て彼がなんやかんやと買ってくるからだ。今日は手術日であったのに僕の家に泊まりに行っていいのかと聞かれたので、明日明後日は忙しいのだろうと思ったらやはりそうだった。(といっても両方飲み会があるだけだけれど。)(火曜は術後の急な事態に備えて普段僕のところへは来ない。)泊まりに行っていいかなどと聞かなくても、来たいときに来てくれればいいのだと応える。そういうところだけ彼は一年前から他人行儀に振舞う。彼が来れば彼と話をするし、来なければ奔放に過ごす。以前の彼がいないことを嘆く生活よりも遥かに有意義に毎日を過ごせるようになったと思う。その分だけ僕の彼への愛情が希薄になってしまっているようにも思われてならない。そこのところはまだ良く分からない。

すべてが予想したとおりにことが運んだ夜について

部活のオフが終わり、朝から練習が始まる。鈍りきった体は、丁寧にも鍛錬を怠った分だけ疲労感を僕へ提供してくれた。ほんとしんどかった。貧血で倒れるかと思った。家に帰り着くと同時に布団へ倒れこむ。――寝坊。焦る。しかし約束の時間より五分程遅れるに留まりほっとする。急がなくていいよとメールを受け、安心しつつ急いで向かう。今日の目標は決まっていた。どのように僕が振舞えば、どのように彼が答えを出すかは、知っているはずであった。一年間彼を観察し続けてきた僕には、彼の答えが予測できるはずであった。
梅田で落ち合い、梅田から一駅のところにある御堂筋線にて淀屋橋へ向かう。日本で唯一、ベルギービールを生で飲ませてくれる店があるという。彼の好きな店なのだと言う。淀屋橋からその店へと向かう折、僕と彼についての話を、核心に触れぬ程度に交わす。店へ着き、オーダーを頼み、 さて、話をしようか。という流れになった。すべて予想通りだ。
僕の意思を尋ねられたが、僕は彼に話をするよう促した。彼が何を考え何を想い何を望んでいたのか、それを知ることによって僕の返事は変わるだろうと考えていたからだ。そのような意思を僕が最初に述べても良かったが、それでは何通りもの話をしなければいけないので面倒であった。それゆえ、彼に意見を求めた。そうすれば、彼の意見に対する僕の答えを言うだけで僕は済むのだった。
僕の中で用意された答えはどれも少しずつ違っていたが、最終的な目的はどれも彼と仲直りをすることであった。彼が僕に対して綺麗さっぱりと関係を絶とうと申し出るのであれば、僕はそれを潔く受け入れる積もりであったが、そうならない限りはどうにかして彼と仲直りしたいと思っていた。
そして、それは僕が、僕の抱いていた、僕が生きる糧でもあると言って良いものを廃棄することを意味していた。大げさな表現になっているかもしれない。しかし、そう言っても過言ではないと、自分では思ってしまうくらい、僕にとっては大切な望みであった。しかし、それを捨てる覚悟はもうとっくにできていたから、あとは実行に移すだけであった。最後にマウスを左クリックするだけ。そんな感じだった。
思っていたとおりの要求を彼は提示した。それは単純で明快であった。現状に満足できないのであればジ・エンド。ただそれだけだった。
エゴとは個性であると、なんとなく思う。没個性。という印象を僕は受けたが、何もかも諦めてしまえば良いだけなのだ、と思うと気はラクになった。僕はそれを捨てさることに躊躇無く同意した。彼は喜んだ。これは彼のエゴが僕を押さえつけることに成功したのだな、と、「僕のごね勝ちって形になっちゃったな」というセリフを聞いたときになんとなくそんな風に感じた。それでも彼の喜ぶ姿を見ると僕はうれしくなった。彼のわざとらしい大げさなガッツポーズに苦笑いしつつも愛らしいと思った。今日からは僕が地球に優しくするように、彼にも優しくなろうと誓った。胡散臭いなあと自分で思った。しかし、僕にできるのはそれくらいだった。浮気を何百回されてもいいし、僕に会いにこなくてもいいし、すべては彼ができることを彼ができる分だけ、彼がしたいだけやってくれればいいと切に思った。そして僕は彼が望むことをできる限りしてあげたいと思った。すべてがすべて、僕の予想通りであった。このような形で決着はつき、僕と彼との関係性は今まで通り何の変わりも無く続くようになった。彼は僕のためにできる限りの努力をするから信じてついてきて欲しいと言い、僕はそれに頷いた。この日、僕と彼との関係性は固定されたように思う。これでよかったのだと思う。

謝辞

昨日、今日と二日連続でものの見事に土壇場でキャンセルを実行。本当に申し訳無い。いや、今日なんて約束事があったことすら忘れていたから土壇場とも言えない。最悪だ。なんのために携帯のメモ機能に記録していたのか。記録を見る癖をつけなければ何も意味が無いのだと事後に気付く。阿呆である。
僕の視界にはひとつのことしか見えていなかった。それに比べれば何もかもがどうでもよかった。それは事実であるが、こんな僕のせいで迷惑を被らされた方々には面目ない。